序、「影の少女」と「三つ目がとおる」

 一連の「影の少女」系列作品における影子の正体はミュータント(新人類)でした。影子は、現在に早めに生まれてしまった未来の人間なのであり、だから、現代の人間とはうまく馴染めずに、いじめられてしまうのです。
 この「いじめれる影子」という発想は、もともと、「キャリー」だとか「地球への遠い道」と言った複数の小説からインスピレーションを得て、まとまったものなのですが、よーくルーツを探ってみますと、手塚治虫のマンガ「三つ目がとおる」からも多大な影響を受けていたみたいなのでした。
 私が、熱中的に手塚治虫の作品を読んでいたのは小学生の頃です。もちろん、「ブラックジャック」や「火の鳥」なども愛読していましたが、特に好きだったのが「三つ目がとおる」だったのであります。
 私が「三つ目がとおる」のどのへんを好いていたのかは、話が脱線し過ぎますので、ここでは説明しませんが、対比してみますと、確かに影子と「三つ目がとおる」の写楽はよく似ています。
 いじめられっ子の復讐劇と言うストーリー構成もそうですが、それ以上に、二人のキャラ設定に共通点が見られるのです。いや、私自身が、影子を描いていくうちに、無意識的に「三つ目がとおる」に似せていってしまったのかもしれません。
  写楽は、現在に生き残った古代文明人の末裔です。彼は独りぼっちであり、ものの考え方も現代の人間とは異なり、写楽が関わったオーパーツ(古代超文明の遺 産)や太古の生き残りなどは、滅び去った古代文明の愚を繰り返すかのように、やはり滅びてしまう定めとなっています。まさに写楽の決めゼリフ「われととも にきたり、われとともに滅ぶべし」がびしっと決まっている訳です。
 影子にも、こんなディテールを持たせたいと思いました。影子の場合は、古代の生き残りではなく、未来からの使者です。彼女もまた独りぼっちであり、より神に近い超未来の思考を持つ彼女は現代人とは発想が合わず、今の世界にとっては恐ろしい脅威となるのです。(「35、正義は悪魔より怖い?」参 照)影子は、滅びた古代文明ではなく、これから訪れる未来の象徴なので、彼女や彼女の使用物の敗北は、むしろ、素敵な未来をまだ受け入れる事の出来ない現 代の愚かさとして、とらえられる事になります。それが、影子の決めゼリフである「夢に溺れて、地獄に落ちろ」とか「目には目を、歯に歯を。あなたの罪に従 いて裁かれなさい」などの皮肉の言葉に結びついている次第です。(「79、影子の決めゼリフ」参照)
 新作「ヨミノで待ち合わせ」で エコロジーネタを取り込んだ事で、影子はますます未来少女の要素を前面に押し出した感じもします。そして、「影の少女rewrite」では、影子から 「ミュータント(未来人類)の超能力」という要素を奪った事で、より天才的頭脳だけで活躍する形となり、「三つ目がとおる」の写楽っぽいキャラや行動を展 開するようにとなったのでした。

 

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