35、正義は悪魔より怖い?

 「影の少女rewrite」における影子は、私欲や憎しみをいっさい持たず、彼女の巻き起こした攻撃的行動の数々は、全て、善意に基づくものでした。いわば、本作の影子は「完全なる正義」の具現化なのです。
 ところが、彼女に干渉された者たちは誰も幸せにはなれず、破滅の末路を送る事になってしまいました。影子自身も、そのような結果になってしまう事を、失敗するたびに嘆いています。
 これは、影子の方法ばかりが問題だった訳なのではなく、そもそも、「完全なる正義」自体が人間には受け入れられないものだったからなのです。「影の少女rewrite」で影子がまき散らした脅威とは、いわば「正義の恐怖」だったのです。
 悪意もまた怖いものかもしれませんが、単純に善とか正義だけで生きていけるほど、人間と言う生き物は善良でもないのです。善と悪の狭間で、常に揺れながら生きているからこそ、その不完全さゆえ、人にはドラマがあるのかもしれません。
  そして、その中間的存在ゆえ、悪が怖いからこそ、完全なる正義も、ノーマルな人間にとっては恐ろしいものとなるのです。「正義の恐怖」というと、相手を力 づくで説得させようとする「正義の暴力」みたいなものを思い浮かべるかもしれませんが、そのような苦痛的暴力じゃなくて、影子が実行したような「幸せを押 し付ける」という方法であっても、やはり、人間にとっては恐怖となる訳です。
 なぜ、私が、こんな発想をひらめいたかと言いますと、たとえば、宗 教などでは、善と正義だけの天国がいかにも良い場所であるように紹介されていますが、そのへんに疑問を感じたのがきっかけだったりもします。影子は地上に 天国を具現化しようとした救世主なのであり、「影の少女」は、それが決して成功しないであろう事を提示した小説だったのです。
 そして、影子が完全な善だとするならば、わずかでも悪意を持った人間と言うのは、ちょうど人間にとっての悪魔のような立場となります。だからこそ、影子は、人間たちの悪意にさらされ、いじめられる事になり、両者にはそういう関係が成り立っていたのです。

 

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