45、性的いじめをしたがる変態

 「影の少女rewrite」では、子供のいじめ問題について、単なる娯楽読み物ではなく、真面目な研究資料としても、さまざまな言及を行なっています。いじめる側の人間の動機分析も、そのうちの一つです。
  影子と言う典型的ないじめられっ子を対角線に置く事で、いじめる側の子供たちの立場も、より分かりやすく浮き彫りとなっています。美しく、才能ある影子を いじめるのは嫉妬に基づくものだし、おとなしく、無抵抗な影子をいじめるのは弱者に対する支配欲だったり、暴力性を他者にぶつけたい本能なのだと考える事 ができます。「影の少女」におけるいじめっ子たち、桐生、爪田、大場の態度からは、そうした彼女らの意志が、とてもはっきりと見いだせるのであります。
  しかし、いじめ末期で彼女たちが暴走させた性的いじめにつきましては、嫉妬や支配欲だけでは説明しきれない部分があります。なぜ、「性的ないじめ方」じゃ なくてはいけなかったのでしょうか。いじめの中には、実は「本当は自分がしたい事を、自分でやるには戸惑いがあるから、いじめ被害者にやらせる」と言うも のがあります。たとえば、変わった事をして目立ってみたり、好きな異性にきわどくアプローチしたりなどです。被害者を性的にいじめるのも、そうした動機に 根付いたものなのではないかとも推察できるのであります。
 大体、同性の裸を見たり、オナニーをやらせたって、楽しいと言うよりは汚らしく感じる のが普通の感覚のはずなのですが、その「汚らしさ」を振り切ってまでして、同性の裸やオナニーを見たがるのは、自分の性に色々と不安を抱いてて、他人の性 と見比べて、安心したいと言う、性知識に対する幼稚さ、未熟さもあるのでしょう。そのへんの不安が解消しても、まだ同性に対する性的いじめにしつこく固執 しているとなると、それは、もう「未知なる性への興味」を通り越して、性的興奮を求めてるとしか考えられません。と言っても、性的興奮をもたらす対象は異 性であるべきであり、同性愛志向でもないのに同性への性的いじめに執着するのは、本来の関心である異性へと目を向けられない臆病さの為か、あるいは、自分 自身がそういう事(露出や公開オナニー)をしたいというマゾ的心理のせいじゃないかと考えられる訳であります。
 よーするに、性的いじめの被害者よりも、同性への性的いじめの加害者の方が、ずっと変態で、汚らしいって事です。「影の少女」の中では、そのへんについても、しっかりと指摘している次第です。

 

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