93、いじめられっ子に希望を

 最終話のサブタイトルは「またいつの日か」で、この題名には、エンディングにふさわしく「読者の皆さん、またいつの日か、お会いしましょう」という意味合いが込められています。つまり、さりげなく続編の可能性も示唆していた訳です。
  さらには、本編内で、正一が「いつの日か、再び、影子のようなミュータントが、また人類へと反旗をひるがえし、同じような事件をさらに巻き起こす事も、あ りうるような気が、僕にはするのだ」と不安を口にしていますが、すなわち、「またいつの日か」ミュータントが人類に脅威をもたらすかもしれない、と言う恐 怖の警告も混ざっています。
 この裏メッセージは、「影の少女」のテーマとも結びつき、かなり重要です。山井博士は、もし、影子以外にもミュータ ントがいれば、学校で必ずいじめられているはずだ、と考えたようですが、つまり、現実世界での学校のいじめ被害者の中にも、本当にミュータントがいるかも しれない、という発想にとつながっているのであります。
 私自身も、学校でいじめられていた頃は、自分の正体は、SFに出てくるような人間以外の 存在(今はいじめられていても、やがて、凄い存在だった事が判明する)であってほしかったと、つくづく願ったものでした。しかし、私が平凡な人間の両親か ら生まれた子どもである事はほとんど間違いありません。そんな前提の上で、私が人間以外の存在になれる唯一の可能性は「ミュータント」というアイディアし か無かったのであります。そのような作者の個人的願望が「影の少女」という作品の考案の原動力となっていたのでした。
 だからこそ、他の多数のい じめられっ子たちにも、自分の事をつまらない人間などとは思ったりはせず、周りの醜いいじめっ子たちなんかよりも、はるかに優れた存在(ミュータント)か もしれないと言う希望を持って、胸を張って生きてもらいたいのです。それこそ、いつの日か、意地汚い人類のいじめっ子なんか見返してやって、「影の少女」 の影子のように征服支配してやるぞ、ぐらいの志しを抱いて。
 ミュータントが人類を制圧するなんて怖い話のようにも聞こえるかもしれませんが、そ の一方で、今現在、虐げられている弱者たちに、明るい未来の自分の幸せを夢見てもらう為の希望の物語にもなっていたのでした。「またいつの日か」の主役 は、今いじめられているあなたかもしれないのです!

 

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